2014年1月13日月曜日

名僧〜瞑想〜迷走…中


 「お話は、唐突に始まります。」


先日は、『根っ子が苦しい』という話をしてみたのだが…覚えているかな?


「『根っこな話』と『根っクな話』の両方の話が 繋がっていたんですね?

でも『根っこ』のこの部分が、今回は、『子』にすりかわってるんですね…。」


そう。漢字で書いた所の『神』という文字にまつわる小話をしてみた。

『ネ申』という文字を 『ネ』に並ぶ『申』と見なして観た場合。

『ネに申す』それが『神』という話と、

『ネ』と『申(さる)』しているのが『神』だという、一見、世迷い言の様な話をしてみた

その辺りの話は、先日の話を振り返ってみるか、あるいは、いずれまた話を振り返そう。


 では、今日の本題。 何故『根っ子』が苦しいのか…。

日本語の持つややこしさ…というか、扱いの難しい面が関係している。

それをちょっと例え話に今日は、小話しよう。有希、執筆の準備は、いいかな?

「オケオケオッケー v 」





 昔、むか〜し、ある所に、

それは、それは、名のある お坊様が 在ったとさ。

お坊様は、ある日の事。

いつもの様に 神仏の午前に座し、

心静かに座禅を組んで 瞑想していなさった。

が、その日は、やけに心の奥底深くから ざわつき出して

雑念が 脳裏を騒がせ始めた。

か〜ごめかごめ〜 か〜ごのな〜かの

と〜りぃは〜 いーつ いーつぅ で〜あぁる〜

よーあぁけ〜のォ ばーんにぃ

つ〜ると か〜めが すっべったー


なんと、これは、かごめ歌ではないか。

いかんいかん気を散らしては、

お坊様は、雑念を払おうと、しましたが、ますます頭の中の歌は、

強まり、大きな声となってお坊様の頭いっぱいに響き出しました。

『テレパシーで 話している。聞こえるか?』

不意に、子供の歌の様な声に交じって、厳かな声が 響いた。

て… てれぱしぃ?

てれぱしぃとは、何だろう? お坊様は、一瞬そう思いましたが、

いかんいかん、これは、きっと悪鬼のしわざに相違ない。

そう思い浮かべると、脳裏に鬼のイメージが 浮かび上がりました。

ホレホレいかん。『かーつッ(割)!』と気合いを込めて念を吹き飛ばし、

鬼は、去っていきました。


あくる日。この日も座禅を組んで瞑想中。

また かごめ歌が聞こえて来て、今度は、こんな声が聞こえましたとさ。

『こちらインナースペース。宇宙連邦群 アンドロメダ評議会。

 応答、応答、聞こえるか?』

『創造主より、『寝た子を起こせ』との指令が下ったので

 アウタースペース 地球人 各個人に、干渉する事となった。』

が、お坊様は、『しれい』という響きを 死霊と聞き取り、うろたえた。

この私に、そッそんなモノが取り憑いてなるもなかアッ

『冷静に、エゴに振り回されないように…。』

が、そこは昔、むか〜し昔のお話。

お坊様の周辺には、まだ『エゴ』という言葉は、存在していませんでした。

話が通じないので、困ったアンドロメダ評議会は、そこで別の人物を検索。

『エゴ』について、わかりやすく説明を表現して広める所から始めなければ

なりませんでしたとさ。




「 〜 ってな 感じでいいんでしょうか?」


ひとつ付け加えておこうか(笑)

統率された天使群団グループのイメージが、軍隊の様に映ったのだろうね。

実際、軍隊の様な側面も持つには、持っているが、それは、一部分の機能に過ぎない。

有希には、宇宙連邦『群』 アンドロメダ評議会と執筆してもらった。

多くは、宇宙連邦軍と伝心してしまっているので、ここで、イメージを改めておこう。

いいかね、『宇宙連邦群 アンドロメダ評議会』


「『群』なんですね。『軍』ではなく『群』!」


日本語のややこしい所というか、扱いの難しさが そこにある

海外でも 統率された集団のイメージのヴィジョンから『軍隊』と受け取られて来ている。

付け加えて、日本語圏においても、

『グン』という『音(ネ)』の響き、集団のイメージのヴィジョンから

『統率されたムレ』が、『軍』と受け取められてしまうのもごくナチュアルな

流れだったと言えよう。しかし、すべての群れが 軍では、ない。

もし、戦争する相手が存在しなければ、もはや 軍は、必要ではない。

在るのは、ただ 群れ…だけである。




では、話を今日の小話の方で 話そうか。

問題の箇所は、『シレイガ クダッタ…』

軍関係者だと『シレイ』は、上官より『指令』が下ったとイメージしやすい。

が、死者を弔うお坊さんには、『シレイ』と聞けば『死霊』とイメージする方が

しやすい。

ここが、日本語の面白い所でもあるとは、思わないかな?



これから、『瞑想』も『迷走』しやすくなるだろう…。

なぜなら、魂たちが、創造主の『命』を受けて一斉に おしゃべりを始めているからね。


それと、『エゴ』と云われている機能と、

彼方よりの『テレパシー』あるいは、『シンパシー』とが、複雑に交差しているのが、

これまでの現状だと説明しておこう。



 心のチャンネルを何処に合わせるのか?

聴きたいラジオの番組を聴くのに、ラジオの帯(バンド)の周波数を合わせようとする様に。

テレビは、チャンネルをいろいろと変えてみる事が出来るが、コレを観たいと思える

番組と、くだらないと思う番組が在る様に。

心のチャンネルを何処に向けるのか? これからは、それが問われていくだろう…。





「えっと…。」

ああ、そろそろ稼業の仕事に行く準備に取りかかりたいのだね。

行っておいで。またいずれの機会に話そう。











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